第16次日中友好健康麻将交流訪中団 天津交流大会開催
投稿日:2010年11月19日
浅輪選手、逆転優勝
第16次健康麻将訪中団は、10月16日午前、北京を発ち天津にバス移動した。高速道路でおよそ二時間の道程。
天津は、北京の海の玄関口といわれてきた海路、陸路ともに要衝の地である。天津甘栗は有名であるが、ここで生産されたわけではなく出荷地である。 その日の午後、恒例行事である「日中友好健康麻将交流〈天津〉大会」を開催。待ち受けて下さったのは、中国でも有数の麻将指導者である盛琦先生。1998年に中国国家体育総局が発表した「国際公式ルール」の制定に尽力された方であり、田邊会長とはそれ以来の付き合いがある。
(*田邊会長の挨拶文参照)
日本選手紹介
小島武夫(天津健康麻将交流会会長)
田嶋智裕 斎藤 正 青木敬一 国原 徹 白井徹夫
三宅浩一 上窪 晃 江口 彰 手塚ゆり 細野文俊
長澤忠一 下村幸子 堀内忠子 浅輪尚孝 以上一五名
(江橋先生が急用で急遽帰国されたので一名不足となり、その分を中国選手にピンチ出場していただいた)
●交流会場が個室雀荘だった
今回が初の試みとなったが、交流試合の会場が個室専門の雀荘だった。中国風に言えば棋牌室である。
最近の中国では、ホテルを除いて街の片隅にちらほら見ることはできるが、この天津の棋牌室は本格的で23室ある。日本にもこれほどのものは少ない。今回は一荘戦の2回戦。一戦の制限時間は2時間。順位点は、7・4・2・0。
●優勝を決した 白井対浅輪の対決
中国風に記せば、第1回戦は第1局である。すべて個室使用だから8室に分かれて対局する。
さて、戦局は――。
第1局でトップを取れたのは、浅輪選手唯ひとりだった。 残り7選手は中国側である。順位点で中国72点に対して日本は32点。中国の圧勝である。 期待された国原選手は大苦戦。善戦した細野選手にしても、素点157点、順位点は4点だった。
このような状況で第2局を迎えた。
浅輪選手は白井選手と対峙した。
この二人の関係は、白井選手が池袋支部長(協会監査役)で、浅輪選手はそこの会員。よりによって皮肉な対戦であった。
前半戦、白井選手が圧倒的なリードを保っていた。浅輪選手は二着。両者ともに二人の中国選手を抑えこんだ形で展開していた。
後半戦に入る矢先、浅輪選手がトップの白井選手を直撃した。 これを契機に浅輪選手の猛ダッシュが始まる。たちまち白井選手を抜き、トップへ。トップになっても、その手を緩めない。アガり続けた。白井選手、なんとか刺し帰したいところだが、一向に手がまとまらない。
ところが、終盤、白井選手に奇妙な役の手がついた。
待ちは、3ピン、6ピン、そして中。中が出れば七星不靠(チーシンプカオ)、24点。3ピン、6ピンが出れば全不靠(チュエンプカオ)、12点。奇妙な役と書いたのは、ご覧の通り雀頭が無いからだ。中はすでに3枚切れている。掴んだ人はツモ切るだろう。固唾を呑んでみていると、下家の中国選手から3ピンが出た。
結局この対戦は、浅輪、白井のワンツーフィニッシューで終了した。 浅輪選手は、2戦トップを取り、素点で中国選手を圧倒的に抑え優勝した。
懇親会で誕生祝い懇親会では、盛琦先生の挨拶、表彰式と続き、恒例の麻雀ビンゴを楽しんだ。
田邊会長には、天津市運動協会より「中日麻将友好交流への貢献」に対する敬意と祝賀を示すトロフィーが送られた。
春の全国大会上位から訪中団に参加された江口 彰(品川広場)さんが、この日の二日前に誕生日を迎えていた。
中国側にもこの日誕生日の女性選手がいた。丁金庸さん、七八歳。
そこでお二人の誕生会を懇親会の席上で急遽行うことになった。 大きなケーキにローソクが灯り、お二人が息を揃えて吹き消すと、暖かい拍手の波が会場に沸き起こった。これこそ日中友好の大いなる前進、ほほえましい一齣であった。
(事務局長理事 西野孝夫)
優勝の浅輪尚孝選手(中央)
懇親会で挨拶する小島武夫・天津健康麻将交流会会長(日本プロ麻雀連盟最高顧問)
大会終了後の懇談会で、中央が盛琦先生、そして田邊会長
懇親会で乾杯
江口 彰さんと丁金庸さん(裁判員)の誕生会